第10回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト


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優秀賞受賞作品
「一歩を踏み出して」
オリエンタル納言 


 小さい頃、私はアトピー性皮膚炎を患っていました。
 今でこそ、肌もきれいになりアトピーだった頃の面影はほとんどありません。
 しかし、小学生から肌がどんどん荒れていき、誰が見ても分かるくらいひどい状態になっていました。
 まだ、肌がもたらす人間関係での影響を感じたことはなかったので、掻きむしった跡があるところでも、気にせず出していました。
 すると、一人のクラスメイトが私の肌を指さして「お前の肌って汚いよな。アトピーって移るんだろ?病気だろ?お前は今日からアトピー星人だ」そう言い放ったのです。
 子どもながらに傷ついて「移らないよ!」と言い返したけれど、あっという間にあだ名は浸透してしまい、長い期間私は、アトピー星人と呼ばれていました。
 学年が上がるごとに、言葉の暴力はエスカレートしていくようになりました。
 見た目のことを馬鹿にされることは当たり前だし、ばい菌扱いされて、私の持ち物が落ちても拾ってもらえることは、ありませんでした。
 それも全て、アトピーのせいだったのです。
 少しずつ大人びていく同級生の中には、美人でちやほやされている子、スポーツが出来て注目を浴びている子もいました。今でいう『カースト』と呼ばれる上位に君臨していた彼らと、一番底辺にいた私との明らかに違う扱いがそこにはありました。
 見た目から差別され始めたことにより、同級生だけでなく、当時担任だった大人でさえも、次第に標的として私を見るようになりました。
 ある日の漢字テストで、カースト上位が嘘の告げ口をしたことから悲劇は始まりました。
 私が漢字テストをカンニングしたという嘘の告げ口を。
 給食前に、担任から放送室に来るようにと言われ、思い当たる節がなく、ただただ呼ばれたことに恐怖しかありませんでした。
 しかし、後ろの方からクスクスと笑う声が聞こえたり「あいつ放送室に行くらしいよ」と会話をする声が聞こえてきたりしたので、「私はまた何かを言われたんだな」と諦めにも似た感情を抱えて、放送室に向かいました。
 放送室は薄暗く密室で、担任と二人で部屋へ入ると、鍵をかけられ尋問をされました。
 「お前、自分のしたことが分かっているだろ。俺はなんでも知っているぞ。嘘はつくなよ?」そう言いながら「手の平を見せてみろ」と言われました。
なんとなく怖さもありましたが、そっと手の平を差し出すと、次の瞬間、思い切り手を叩かれました。
 あまりの衝撃に理解が出来ず、時間差で痛みが走りました。
 すると、叩いた手の平を交互に見ながら、もう一度バシンと叩いたのです。
 私は悔しくて悲しくて、泣きながら「何も知りません」と言い続けました。
 すると「お前がカンニングしたのを見たやつがいるんだ。お前が嘘つきなのは、俺が一番知っている」と。
 それでも「私はカンニングなんかしていません。本当にしていません」と繰り返し言うことしか出来ませんでした。
 時間がどれくらい経ったのかも分からず、結局その日は、クラスに戻されてしまいました。
 帰ってきた私にあらゆる好奇の目が降り注いでいました。
 俯きながら給食を食べている姿を面白がって、同級生たちはクスクスと笑って楽しんでいたような気がします。
 後々、カンニング事件はただの勘違いということが発覚したけれど、担任から謝罪の言葉はありませんでした。
 それからも学校生活は、充実とはかけ離れて、いつも独りでいることが多かったです。
 悪口を言われるくらいなら、独りでいた方がマシだった。
 容姿を馬鹿にされたり、トラブルに巻き込まれないためにも、存在を消すことが一番の解決法だと学んだのです。
 中学生、高校生と学生時代を過ごしてきたけれど、結局は容姿がいい人が優遇される環境は、どこに行っても変わりませんでした。
 高校生くらいになると、私の心の中で少しだけ希望を持つようになっていったのです。
 「いつか、大人になったら容姿なんかで評価されない環境があるはず。私は私らしく生きられる環境があるはず」そう信じて、学生時代を耐えてきました。
 しかし、当時の私には分からなかった。
 大人の社会でも、子どもよりも残酷ないじめが存在することを。
 私は昔からの夢だった保育士として働くことが決まりました。
 明るい未来を想像して、新しい社会に溶け込んでいきたいと思っていました。
 初めて就職したところは幼稚園でした。
 新人として挨拶をすると、心なしか先輩たちの視線が冷え切っているように感じたのです。
 まるで「新人のあんたたちが来ることなんて、歓迎してないよ」そう言われているような空気感がありました。
 何もかもが初めての環境でしたが、常に職場の雰囲気はピリピリしていて、誰かしらが叱責をされている状態でした。
 一人の人は、一時間以上も正座のまま、暴言を吐かれ続けていたし、他の人も過度なストレスと疲労で、仕事中に倒れて救急車で運ばれてしまいました。
 そして私も、一人の先輩にターゲットにされて、毎日仕終わりに一時間以上、文句を言われたり、人格を否定されたりしました。
 時には「お前、先輩のことを舐めてんのか」と激怒された挙句、物を投げつけられることもありました。
 そんな環境が毎日続いていましたが、助けてくれる人は、一人もいませんでした。
 それもそうです。皆自分の事で精一杯だったから、他人を助けようとする気力もなかったんだと思います。
 とうとう限界がやってきて、私は逃げるように幼稚園を辞めました。
 心も体もボロボロになった私は、半年間家に閉じこもり、命を絶とうとしたこともありました。
 けれども、心のどこかで「もう一度、保育士として働きたい」という思いがあったから、勇気を出して、再就職を決めました。
 新しい保育園と出会い、新たな人生をスタートさせました。
 初めの頃は、毎日覚えることに必死で、注意を受けることもありましたが、物を投げられたり、理不尽に怒られたりすることはなく、少しずつ職場にも慣れていきました。
 他の先生たちも優しくしてくれて、どんどん仕事も楽しさを見出せるようになっていったのです。
 この頃から保育士という職業に、誇りとやりがいを感じられるようになり、ますます仕事に打ち込むようになりました。
 しかし、世界を変えた出来事が、職場の雰囲気も全て変えてしまいました。
 それが、新型コロナウイルスだったのです。
 毎日の消毒や、感染対策の徹底、新しい行事のやり方などを考える日々。
 疲労困憊している職員に、心の余裕は全くありませんでした。
 なにより、昔は旅行に出かけたり友だちと会ったりしていたことも、コロナが流行りだしてからは、外出を控えるようにと言われ、
仕事だけが増えていく環境にストレスはどんどん増えていきました。
 給料が増えるわけでもないのに、残業は常に無給でやるしかない。
 そんな環境が、人をおかしくさせてしまったのでしょう。
 お互いに協力し合い、励まし合った環境は、いつしか悪口と噂話ばかりの環境になってしまった。
 いつも聞き耳を立てていて、粗を探すことに必死になっている人もいれば、気に食わないことがあれば、暴言を吐いたり無視をしたりする人もいた。
 蹴落とし合いのような環境に私は、少しずつ心を壊し始めていきました。
 ある日、耐えられないくらいの腹痛に襲われて、何度もトイレを往復していました。
 それ以降、食べてはトイレに駆け込むという生活が始まり、次第に食事が喉を通らなくなっていきました。
 子どもたちの笑い声が遠くの方で聞こえるような感覚に恐怖を覚える瞬間がありました。
 環境はさらに劣悪になっていき、私は栄養失調とうつ病と診断されたのです。
 そして、大好きだった保育士を今年の十月に退職という形で幕を閉じました。
 どんな選択よりも辛い選択をしたのです。
 しかし、簡単に縁が切れたわけではなく、SNSを使って、私の行動を監視しようとする人がいました。
 職場を辞めて、環境を断ち切ったのに未だに苦しみから逃れられていないのが現状です。
 しかし、私には保育士以外で生きる道を、大きな夢を見つけたのです。
 文章を書くことで、少しでも多くの人の勇気になりたい、そして、同じ苦しみを味わっている人たちの力になれる活動をしたいという夢を。
 仕事を辞めてから、今まで以上に文章を書くようになりました。
時折、保育士に戻りたくて子どもたちに会いたくて仕方がない時がある。
 どれだけみっともない姿を文章に残しても、私の活動が批判されることがあっても、この先も書き続けていこうと思っています。
 物心ついたころから、いじめにあったり存在価値を否定されて生きてきました。
 いつしか自分自身でさえも「いらない人間なんだ。肌が汚くて顔もよくない私に価値はない」そう思うようになっていきました。
 しかし、文章を書くことでかつての辛い過去を少しずつ整理できるようになっています。
 そして何より、こんな私でも友人と呼べる人に出会いました。
 見た目ではなく、私という人間を愛してくれる人に出会いました。
 ようやくなんです。
自分の人生にスポットライトが当たり始めたのは。
いつも悲観的に考えて、哀れな姿ばかりを見つめてきました。
だからこそ、文章を書くことで自分と向き合おうとしているのかもしれません。
かつて容姿を馬鹿にして、いじめをしてきた同級生を見返すチャンスなのかもしれません。
大好きだった保育士を辞めるしかなかった環境に、想いをぶつけるチャンスかもしれません。   
いつか、私が書いた文章を読んでくれた人に勇気を与えたい。
そしてどれだけ辛くても、いつか「生きていてよかった」と思えるような言葉を贈りたいんです。
いじめられていた過去があって、大好きな仕事も辞めることになって、病気を患って生きる意味が分からなくなってしまった私に、友人や家族が沢山の言葉をくれました。
これは、一つの恩返しでもあるのかもしれません。
いじめがなくなることは、この先もきっとありません。
残念ながら、誰かを攻撃したり馬鹿にしたりすることでしか、自分の価値を測れない人の方が多いと思います。
その行為自体が惨めで哀れなこととも知らずに。
どうか負けないで欲しい。
どうか、命を絶つような選択はしないで欲しい。
どれだけ辛くても、いつか必ずあなたを見てくれる人は現れるから。
辛いときは逃げていいんです。
正面から立ち向かうことが全てじゃない。
独りぼっちだった私でさえ、支えてくれる人に出会えたのだから。
どうか、自分を大切にしてください。
一人の力では変わらないことも、少しずつ力が合わさることで、一歩を踏み出す勇気に変わるはずだから。