天使がくれた飴ちゃん


                                 成人の部 最優秀賞   上野 百合子


近づく救急車のサイレンと、駅員さんの声が聞こえる。意識がどんどん薄くなっていく。
ある日、高校の最寄の駅の待合室で、私は処方されて部屋にたまっていた睡眠薬をありったけ飲んだ。
いってきます、と家を出た時から私はあの駅で死のうと決めていた。私をいじめていたクラスメートがこの駅を通るたびに、私がここで死んだことを思い出して嫌な気持ちになればいい、そんなばかばかしい復讐の気持ちを込めてこの駅を選んだのだった。母親に一通、遠くに住む父親に一通、それぞれ二通の遺書を鞄に入れて、私は学校へと向かう電車に乗った。

★特待生となってから

 私は、中高一貫の女子校の高等部に入学した。受験の結果、五科目総合点が受験生の中で一番だったことから特待生という若干イレギュラーな形の入学だった。周囲は内部の中学校から高校に入学する子ばかりで、私の噂はたちまち学内に広がった。外部からの受験生が特待生になるのは、内部の生徒からすればおもしろくない。
 「外のやつがしゃしゃってんで」
 「頭ええのん鼻にかけてえばってるわ」
 入学してから毎日、そんな言葉を浴びながら私は学校に行った。
 最初はからかわれたり、すれ違いざまにクスクスと笑われるだけで済んでいた。しかしそれらは次第に暴言になり、ある時はわざと足を引っ掛けて転ばせたりと、いやがらせでは済まないレベルになっていた。私はこの時ようやく、自分がいじめられているのだと明確に感じた。
 そんなことが何か月か続いたある日、高校入学のお祝いに友達がくれたペンがなくなった。必死で鞄の中をひっくり返して探しても最後まで見つからなかった。ふと教室を見ると、いつも私をからかう生徒が私のペンを使っていた。その時の私にはそれを問い詰める力すら残っていなかった。
 次の日は英語の教科書もなくなっていた。そして、鞄の中のお弁当箱も見当たらない。
 パニックになっている私を、クラスメートが笑って見ている。わざわざ隣のクラスからその様子を覗きに来ている子もいた。関わり合いになりたくない、という顔をした他のクラスメートは、仲良しのグループで固まってお化粧やお洒落の話に花を咲かせている。この狭い教室の中で、ただ一人私だけがみじめで、必死な見世物だった。
 クラスメートが、私を指さして嘲り笑う。
 「いややわぁ、あの子ゴミあさりしてんで」
 「キモっ、頭おかしいやろ」
 唇をかみしめる。今すぐここから消えてなくなってしまえればどんなに幸せだろうか。
お弁当と教科書は、ゴミ箱の中にあった。
 私は高校生の頃、母と二人暮らしだった。母は毎朝仕事に行く前に早起きしてお弁当を作ってくれた。その大事なお弁当が、ゴミ箱に捨てられていたのだ。大好きなだし巻きとお母さんの煮物が、パックジュースのゴミやほこりまみれのゴミ箱の中でぐちゃぐちゃになっている。破られた教科書に書いてある私の名前がなぜだかやけに目について、気付けば私は俯いて泣いていた。
 担任の先生にこの事を話すと、みんな嫉妬しているだけで悪気はないんだ、と取り合ってくれなかった。逆に、傷痕のある私の左手を一瞥して、あなたは少し不安定だからとスクールカウンセリングを勧められた。母にも相談しようと思った。しかしゴミ箱に捨てられたあのお弁当を思い出すと、私はとたんに何も言えなくなってしまったのだった。いまだにあの光景を思い出すと、どうしても涙が止まらなくなる。
 次第に、私は死ぬことを考え始めた。
 邪魔だと思われているなら、私なんていなくなってしまえばいい、そう思った。
 左手には、カッターの深い切り傷が増えていった。

★二度と目が覚めませんように


 駅に着くと、私は待合室に入った。シートから睡眠薬を取り出しながら、ふと高校の宗教の時間に習った「ロザリオの祈り」を思い出した。ロザリオの珠をひとつずづ繰りながら一日の平穏から世界の平和まで色々な事をお祈りするのだ。
 私は、シートからひとつ薬を押し出すたびに、どうかこのまま二度と目が覚めませんように、と祈った。その祈りは何回も、何十回も百回近くも繰り返されて、悲しい祈りのこもった薬たちは生ぬるい水筒のお茶と一緒に私の喉を通っていった。
 待合室には何人か急行を待つ人がいた。しかしその時の私には何も目に入らなかった。
途中で誰か薬を飲む私に声をかけた気がしたが、その記憶も定かではない。少しすると、当然意識がゆらゆらと揺れ始め、私は椅子から転げ落ち、待合室の床に倒れた。
 すると私のそばにひとりのおばあさんが走り寄ってきて私の顔をじいっと覗き込んだ。なんだか語調がきつそうな、髪を紫に染めたいかにも大阪のおばあさんだ。
 ああ、きっと怒られる。責められる。他人はいつだって私の敵だ。それはきっと、学校でも外でも変わらない。その時の私は、そう思い込んでいた。
私は何度も何度も、ごめんなさい、ごめんなさいと壊れたテープのように同じ言葉を繰り返す。
しかし、おばあさんの言葉は意外なものだった。
 「お嬢ちゃん、大丈夫か?」
おばあちゃんはきっと内心驚いていただろう、私だって、目の前で誰かが得体のしれない薬をたくさん飲んで倒れたなら、驚いて声も出ないだろう。しかしおばあさんは穏やかに、諭すように私に話しかけた。
 「今さっき薬いっぱい飲んだな。あれは何や?せや、椅子からこけてどっか打ってへんか?」
 「ごめんなさい、邪魔で、ごめんなさい。ごめんなさい」
 「謝ることあれへん。今そこに座っとったおっちゃんが駅員さん呼びに行ったからな、ちょっと待ちや、すぐに病院行けるからな」
 そしておばあさんはそのままためらいもなく私が倒れている床にすっと正座すると、呂律も回らず謝り続ける私の頭を膝に乗せて静かに私の頭をなでた。
 「なんや、いやなことあったんか?この制服、あそこの学校の制服やな。学校行きたくなかったんか?おばちゃんはな、ごめんやけど、今さっき会ったばっかりのお嬢ちゃんのことなーんにも分かれへん。でもな、お嬢ちゃんがしんどいのんだけは今、よう分かった。せやけどな、こないして死んでまうかもしれんことしたらあかんねん」
 おばあちゃんは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの私の手をまるでいつくしむかのようにぐっと握ってくれた。救急車が来るまでおばあさんは、自分にも高校生の孫がいること、昔は助産師さんをしていてたくさんの生と死を見てきたことを話してくれた。
 私はぼんやりとした意識の中、まるで子守唄を聞くようにおばあさんの話を聞いていた。
担架が来た。おばあさんは担架に乗せられた私の手のひらに何か小さく丸いものをぎゅっと握らせた。それは、少し溶けかけた黒糖ののど飴だった。
 「おばちゃん、いつもこの時間にここにおるねん。しんどい時には甘いもんや、しんどなったらおばちゃんとこおいで。飴ちゃんなぁんぼでもあげるから、いつでもおいで」
 おばあさんは言い聞かせるように私にそう告げた。担架に乗せられながら、私は何度もおばあさんに言葉にならない声で、ありがとうございます、と伝えた。
 おばあさんは最後まで私の担架を見送り、最後に大きな声で叫んだ。
 「死んだらあかんで!元気になって、おばちゃんとこに飴ちゃんもらいにおいでや!おばちゃんずっと待ってるからな!」

★困ったときはお互い様


 私はその声を聞きながら意識をなくし、胃洗浄を受け入院し、三日後に退院した。色々な人に迷惑をかけ、謝っても謝り切れないと思いつめた私を見た母は、少し学校を休んではどうか、と言った。私はその言葉に甘えて学校を休み、そして母が仕事に行ってからこっそりと家を抜け出すと、あの日と同じ電車に乗って、あの駅の待合室へと向かった。ガラス張りの待合室に紫の髪がちらりと見えた。
 「おばあちゃん」
 おばあさんは私の声に顔を上げると、私に気付いた様子でぱっと明るい表情を浮かべた。
 「おばあちゃんちゃう、まだおばちゃんや」
 そう言っておどけてみせたおばあさんは、椅子から立つと私の身体を抱きしめて、よう元気になったなぁ、と言った。丁度おばあさんの顔は私の肩に当たり、そこに温かい涙がこぼれたことに気付いて、私もつられてわぁわぁと泣いてしまった。
 それからおばあさんと私は、色々な話をした。私が学校でいじめられていること、いじわるされても言い返せないこと、おばあさんはそれをうんうんと頷きながら聞いてくれた。そして、涙を流してくれることもあった。約束の飴ちゃんを舐めながら、おばあさんは電車の時間をずらして、私の話を聞いてくれた。そうして学校を休んでいる間、私は何度かおばあちゃんに会いに行った。そして休みが終わってからもほんの時々、私はおばあちゃんと会って話をした。
 ある日、おばあさんが真剣な顔で言った。
 「マリちゃん、ええこと教えてあげるわ」
 「何?」
 「マリちゃんはなぁ、自分のことひとりぼっちやと思てんねん。それはちゃうで。おかあちゃんもおる、それにおばちゃんかておるやろ。みんなこの世の中にまるっきりひとりぼっちの人なんてな、居れへんねん。だから、もっと誰かに甘えたらええ。辛いことあったら誰かに話してすっきりして、そいで次は誰かが辛そうやったらこっちが話聞いたんねん。それやったら公平やろ。困ったときはみんなお互い様なんや」
 「それやったら、おばちゃんはなんか悩みがある?私かて、おばちゃんにいっぱいいろんな話聞いてもらったし、今度は私が聞いたげるで」
 「せやなぁ、病気してんのが一番の悩みやねんけど、こんなん気合で治したる。マリちゃんに相談するのはもっとロマンチックな恋の話にしようかなぁ」
 いつも通りに冗談を言うおばあさんは、私が一番好きな黒糖ののど飴を私の手に握らせながら、あははと笑った。
 また会おうと約束した次の日、待合室におばあさんの姿は見えなかった。少し待ってみたが、それでも会うことはできず、次も、その次の日もおばあさんの姿は見えない。
そしてその後、私はあのおばあさんに二度と会うことはなかった。
 もしも天使というものがいるのならば、私の天使はあのおばあさんだったのだと思う。
 希望を持たなかった私に、おばあさんは大切な言葉を沢山くれた。私は誰かに大事にされている、いなくなっていい人間なんていない、ということを教えてくれたのだ。
 何の見返りも求めず、ただ優しい言葉とおいしい飴をくれたおばあさんのことを、私は一生忘れないだろう。

★校長室のドアをノックして


 私は、制服のスカートの左ポケットにおばあさんからもらった黒糖ののど飴をこっそり忍ばせて、校長室に向かった。体が震えたが私はもうひとりではない。そう思うと不思議と緊張が薄まった。
 校長室のドアをノックし、入学式以来にその顔を見る校長先生に、私は今までのことを全て順を追って話した。言葉に詰まりかけたり、涙が出たりしそうなときはポケットの飴を握りしめて、私は一気に話をした。
 校長先生はいきなり入ってきた私に驚いていたが、話を聞き終えると椅子から立って私に深く頭を下げた。私はただ面喰っていたが、私が通学途中に救急車に乗ったのは事故だという報告を受けていたこと、なにより今まであなたがいじめを受けていたことに気付かなかったことは校長として、教師として恥ずべきことだ、と校長先生は言った。
 こうして、直談判によって私へのいじめは終わりを告げた。
 しかしこれは、私の力だけでは到底成し得なかったことである。
 あの時のおばあさんとの出会いがなければ、私は本当にいじめを克服できないままに、死を選んでいたかもしれない。今の私がいるのは、あの時のおばあさんのおかげなのだ。
 今、私はカルチャースクールで中高年向けの健康マージャンという、お金を賭けない、お酒を飲まない、煙草を吸わないマージャンの講師をしている。
 健康マージャンは手と頭を動かすことによって認知症の予防になることが証明されており、また、地域の高齢者の仲間づくり、生きがいづくり、健康づくりを目指し東京都杉並区等では自治体が教室を開催している。
 「家族がいなくて一人暮らしが寂しい」
 「友達を作って第二の青春を謳歌したい」
 私の講座には、そんな中高年の受講生が多い。
 「困った時はお互い様なんや」
 この仕事を始めてから、おばあさんのあの言葉をよく思い出す。私の仕事はただマージャンをするだけだはない。色々な話をして、聞いて、今日は一日みんなと楽しく過ごせた、その言葉を聞くための仕事なのだ。
 私は今あの時の恩返しをしているつもりで働いている。あの時おばあさんに聞いてもらった分だけ、私も誰かの話を聞いて、誰かに寄り添うのだ。
 「この世にひとりぼっちの人間はいない」
 その言葉が綺麗事に聞こえた時期が私にもあった。
 しかし今の私は胸を張って、この言葉を全ての人に伝えることができるようになった。
そしていつか、あのおばあさんが元気な顔で飴ちゃんを持って、
 「マリちゃん、マージャン教えてや」
と、マージャン講座に来てくれることを私は心の底から願っている。 

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