第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・最優秀賞受賞作品


 『 ダメダメちゃんと過ごした八年』
        


                                             猪島 章子

 のび太君には、ドラえもん。クリストファー・ロビンには、くまのプーさん。自分の心だけに住む「お友達」がいなくては、一人前の子どもとは言えません。心に嵐が吹く夜でも、その柔らかな毛皮で包み込まれた途端、いつの間にか瞼の裏に溶けてしまいます。そんな魔法をお友達は持っています。

 さて、ここで私のお友達を紹介させてください。驚くことに、その子は全く逆の魔法を使うのです。悲しい時には「お前がとろくて、鈍くて、馬鹿な奴だからな」。嬉しい時には、「すぐ嫌われてがっかりされるにきまってるから、調子乗るんじゃないよ」とつぶやいてきます。うすら悪い笑みで背中から忍び寄り、傷口に塩を塗って、小さな私がさらに小さくなるのを見るのが大好きなのです。いつも私に「ダメ」と言ってくるので、その子を「ダメダメちゃん」と呼ぶようにしました。

 その子が心に住み着いたのは、中学二年生の時です。私はアメリカから、九州の田舎の学校に引っ越してきました。アニメでしか見たことのない、紺色の制服と、清楚な青のリボンにそでを通して、新生活の息吹に胸を高まらせていました。

「初めまして!シカゴっていう、とても寒いアメリカの都市から来た、章子っていいます。あっちの学校では『キークス』というあだ名で呼ばれてました。でも、みんなの好きに呼んでほしいです。ぜひよろしくね。」

 初登校の日、満面の笑みで教室を見渡して、張りのある声で自己紹介しました。しかし、友達の顔を覚えようと必死に目を凝らしていた私には、彼らが浮かべていたであろう、戸惑いと少々の反感を見抜くことができなかったのです。

 待ち望んだ学校生活は、すべてが順調に始まりました。転校生に、興味津々に話しかけてくれるクラスメート。休み時間には、他のクラスの子も、廊下側の窓からのぞき込んできます。「アメリカ!」と揶揄してくるお調子者の男子もいました。そんな目立つ立場だったからか、クラスの一番派手な女子に声をかけられて、その子のグループと、毎日お昼ご飯を食べるようになりました。

「この間あの子の私服見たよ。びっくりするくらい、ダサかった。一緒にいたら恥ずかしいよね。」

「あの子ちょっとうざくない。授業中発言しすぎだし、なんかいい子ぶっているよね。」

 グループの中心だったその子は、話の節々で、悪口をチクチク挟んできました。「悪口はよくない」わかっていても、話も面白くてかわいくて、場を支配する不思議な力を持つその子に、皆自然と従い、悪口に加担していたのです。私も、悪口を言われる子の気持ちには目つぶって、自分の居場所を守ろうとする、姑息な共犯者の一人でした。それほど、新しくできた居場所が心地よかったのです。彼女の鋭い悪意の矛先が、ゆっくりと、私に向けられていた時ですら。

「あきちゃんさあ、その私服すごいよね。とってもアメリカンって感じ。私には絶対着れないわ。」
 グループで遊んでいたある休日、その子は少しゆがんだ笑顔で、こう声かけてきました。発砲許可を得た兵隊のように、一緒にいた他の子たちも、くすくすという忍び笑いをしてきます。何かおかしい格好をしていただろうか。慌てて自分と友達を比較すると、初めて気づきました。ほかの子はスカートやフリルのついた、淡い色の女の子らしい服を着ているのに、私はアメリカから持ってきた、ビビットなTシャツと、ボーイッシュなジーンズ。私、一人だけ皆と違う。暗い目のまま静まっていると、その子は同じ笑顔で、こう付け加えました。

「え、やだ、傷つけた?違うって。ダサいっていうか、ただ普通と違うなって思っただけ。日本のこと、あんまりまだ知らないでしょう?気づいてなかったら、教えてあげようと思って。」

 せっかくの遊びの日を台無しにしたら、皆に迷惑がかかってしまう。その思いで、頭によぎったもやもやを、弱弱しく笑顔で押し殺しました。周りの友達の嘲笑は、私の選択の正しさを追認するようでした。でも帰宅後も、心のもやもやは消えません。クローゼットを開いて目にするアメリカ時代の服は、廃棄寸前のパンのように、気持ち悪く、時代遅れで、明日にでも捨てなければいけないもののように映りました。

 小さな違和感は、次々と滴り落ち、どす黒い何かを心に巣くっていきました。私が俯いてやりすごすほど、悪意で濁った水滴どんどん降り注いできます。ダサい私服だけでなく、かん高くて耳障りな声、おばさんみたいにとろい動作、うざい話し方。かわいらしい裁判長の判決と、それを肯定する裁判官らによって、自分が作り替えられていくような気分でした。

「日本だとこうしたらいいんだよって、教えてあげてるだけだから。」

 彼女の魔法の言葉に、一切抵抗できなくなりました。グループだけでなく、クラスのほかの男子も、悪口に加担するようになります。悪意は、悪口だけでなく、行動にまで。組を作るときは、必ず仲間外れになりました。私が二つ結びをしていると、グループの皆は「章子ちゃんと一緒は嫌だ」と急に二つ結びをやめて、髪形を変えました。行動が一つずつが、傷を深めていきました。

「皆と違う私が悪いから、全員に嫌われてしまうんだ。自分を変えないとこれは終わらない。」

 どす黒い何かが、四六時中、心にそう囁いてきます。「グループ」の評判が、「全員」の評判に、すり替わっていることすら、気づけずに。

 ある日、表情が暗くなった私を心配して、担任の先生が声をかけてくれました。淡い期待を抱きながら、先生の穏やかな瞳にすがるように、すべて吐き出しました。メトロノームのような規則正しいうなずきで、聞いてくれた先生。きっと、励ましの言葉を降り注いでくれたのでしょう。でも、私の心に刺さったのは、次の言葉だけでした。

「でも、あなたも、他の子の悪口を言っていたでしょう。その子の気持ちが、今やっと、分かったんじゃない?」

 やっぱり、私が悪いんだ。これは自分がおかした悪事への報いなんだ。先生に笑顔でお礼を言って別れた後、私は誰にも相談することはありませんでした。

 クラス替えで、ようやく毎日繰り返されていた裁判から解放されました。でもちっとも、心は晴れやかになりません。この一年間で、心に潜んだどす黒い生き物は「ダメダメちゃん」として独自の命を吹き込まれ、彼女らの代わりに私を罰するようになったからです。

 それからは、砂をかむような学校生活でした。あの子たちはもういないのに、あの押し殺した忍び笑いの存在に、いつもびくびくしてしまいます。

「少し間違えたら、嫌われてしまう。」

 そう考えていると、友達の笑顔も、まるで人工甘味料にまみれた、安っぽいお菓子のように見えます。入学した高校は、私をあざけるためのサーカス場に、そこへ向かう通学路は、震えながら進む綱渡りになりました。次第に布団に入っても、眠れなくなってきました。そんな翌朝は、体調がすぐれず学校に行けません。数日休んだ後に登校すると、机の中に無造作に詰め込まれた、プリントの山が待っています。まるで私が人間失格であることを示す、通知書のように。

 明日も学校に行かなきゃいけないのか。処方された睡眠薬をぼんやり見ていると、だったら死んだほうが良い、自然にそう思えました。手の中の白い粒を、気が向くまま口に運びます。大事なペットのことも、いつも心配してくれる家族のことも、一切頭に浮かびません。この日々から逃げられるなら、どうだってよかったのです。

「うつ病と考えられます。少なくとも数か月は入院が必要です。」

 目を覚ました私は、母と先生の診断を聞きました。わっと泣き出す母と裏腹に、私はどこか遠い国のニュースのように、それを聞いていました。どうやらもう学校に行かなくていいらしい、そのことに異様な安心感を覚えながら。

 しかし、入院して学校から離れたと安心したつかの間、ダメダメちゃんとの一騎打ちの、長く苦しい日々が始まりました。そのうち、出席日数が足りず、高校を中退しなければいけなくなりました。就職や進学、将来の現実的な不安に押しつぶされそうになります。退院した後も、あの気味悪い笑い声が聞こえてくるような気がして、他人とまともに話すことすらできません。

「また変で、暗くて、ださい、つまらないやつって思われたな。」

 ダメダメちゃんは憎たらしく勝利宣言するたびに、私は自分の部屋にこもるようになりました。
 真っ暗な井戸の底で、地上の世界のかすかな光を仰ぎ見る日々。時間の流れの中で、焦燥感と不安感に吐きそうになりました。元クラスメートが体育祭にて仲良く円陣を組んでいた夏も、文化祭でたこ焼きを分け合っていた秋も、スキー合宿で雪だるまを作っていた冬も、大学に入学した桜吹雪の春も、私は変わらず、自分だけの部屋で一人たたずんでいました。

 でもそんな日々でも、私は前に進んでいたのです。ダメダメちゃんの声しか聞こえなかった時も、私を井戸の底から引っ張り出してくれようとした、たくさんの声のおかげで。

「命より大事なものはありません。焦らず、自分のペースでいきましょう。」

 私をまるごと受け止め、生命線となってくれた主治医の先生。

「社会に自分を受け入れてくれる場所は必ずあるんだよ。」

 平日の昼間からいる女の子に、いつも何気ない世間話をしてくれたカフェのマスター。

「逆境はむしろチャンスだ。君ならできるから、僕を信じて頑張ってみよう。」

 進学に絶望していたときに、全身全霊で励まして指導してくれた、個人塾の先生。

「また一日中ベッドに横になって、何がしたいの。母さんをこれ以上苦しめる気なのか。」

 愛情ゆえにきつい言葉をかけることはあっても、精神病の本を何冊も読み、理解しようとしてくれた兄。

「きっと大丈夫だよ。本当の章子は、優しくて賢くて強いから。」

 自分を見失いそうなとき、最も的確な言葉で不安を溶かしてくれた姉。

「あんたがいつも頑張っているの、お母さん知ってるからね。」
 自分の時間や贅沢をすべて犠牲にして、無償の愛を注いでくれた母。

 そして、小さいけど消えずにいてくれた自分の声。たくさんの人を傷つけながら、彼らの温かさのおかげで、19歳の春大学に入学することができました。

「ダメダメちゃん」に取り込まれた日々は、遠回りだったのではないか。中学二年生の頃から八年経った今でも、この思いがふと頭によぎります。大学入学後も、一人で社会に立ち向かえるようになるまで、私はたくさんの人を失い、悲しませてしまいました。それなのに今でも、「ダメダメちゃん」に負けそうになる夜は訪れるのです。

 しかし、「ダメダメちゃん」と戦わない人など、果たして存在するのでしょうか。どれだけ順風満帆に見える人生でも、自分を否定する人や、予想通りにいかないことには必ず出会います。意識していなくても、心の中の「ダメダメちゃん」の声は鳴り響いているはずです。それに耳を塞いでいても、気づかぬ間にむしばまれ、ある拍子に心が折れてしまう人もきっと少なくないでしょう。

 あの一騎打ちの日々は、最も手ごわい相手に戦うための、一生ものの術を私に授けてくれました。他人に攻撃されている時も、本当の敵は、周りの声を内在化した自分であると気づくこと。思い通りに消えないその声に、友達のように親しみをもって接することで、真剣に受け止めずにうまくやり過ごすこと。何より、周りのすべての人全員が、同じような敵と戦っていることを忘れず、私がかけてもらったような温かい言葉を皆にかけよう心掛けること。すべて私が最高の親友「ダメダメちゃん」と出合ったおかげで、手に入れたものです。悪口に同調していた姑息な自分や、他人の批判におぼれていた自分に決別できた、今の自分は、誇らしくかけがえのない存在になりました。

 最後となりますが、アンデルセンのかわいそうなもみの木の話を、ご存知でしょうか。北欧のたおやかな太陽が照らす山に、そのもみの木は生まれました。生まれた時から、若いもみの木は願うことはただ一つ、この山で一番背の高い木になることです。のんきな雲の冗談にも、おしゃべりな草花の世間話にも一切耳を貸さず、ぐんぐん成長していきます。気づいたら、この山で一番の立派なもみの木に。えっへんと胸を張るのも束の間、背の高いもみの木は人間たちに目を付けられ、根っこから切り倒されて、人里に運ばれていきます。クリスマスツリーとして、一日限りの役目を終えたあと、人々に忘れられ、何年も倉庫に転がされてしまいます。がさがさの木肌の哀れなもみの木は、寂しくこうつぶやくのです。

「ああ、若いころ山で過ごした日々は、なんて幸せだったのだろう。」

 他人を追い抜こうと生き急いだ道の先が、明るいとは限りません。夜が明けないような日々、自分だけどこか取り残されたような日々。きっとそうやってもがき苦しんだ道こそが、幸せへの一番の近道と信じています。今あなたの心の奥に住んでいるかもしれない、意地悪な声の持ち主は、将来一番の親友になってくれるかもしれません。どれだけ憎たらしくても、かわいらしい名前を付けて、仲良くしてあげてください。