第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・最優秀賞受賞作品


  『いじめられた経験は力になる』
        


                                             た ま ほ

 いじめの記憶や心に負った傷は決して消えることはありません。一生残り続けます。

 私は、子どもの頃から40代半ば過ぎの現在までいじめを受け続けています。まずは、これまでの私のいじめの体験をお話しします。

 いじめは小学校の低学年から始まりました。小学校の頃のいじめは、仲間はずれがほとんどでした。

 「一緒に遊ぼう」

と声をかけても相手にされず、私が近づくとみんなが逃げていくという感じでした。いつもひとりぼっちでした。今思うと、何か意地悪をされたり、変なあだ名を付けられたりするよりも、仲間外れや無視をされることが一番辛かったと思います。この頃から、人と話すのが怖くなり、同級生に話しかけるだけでも、おどおどしてしまうほどでした。今でも人の顔色をうかがいながら話しかける癖は変わっていません。

 中学生になるといじめは陰湿になりました。無視や仲間外れは当たり前のようにあり、それに加え、トイレ掃除をしていると上から水をかけられたり、ジャージのズボンをおろされたり、先生が気付かないところでいじめられることが多くなりました。私は、いじめの加害者の子たちが私に嫌がらせをする度に大声で笑っている姿を今でも忘れません。

 高校に入学し、環境が変わることを信じていたのですが、同じ中学出身のいじめの加害者の子たちが私と一緒の高校に通うことになりました。その子たちに加え、新たに私をいじめる子が増え、いじめは更にエスカレートしました。今までは、個人やグループからのいじめでしたが、クラス全体からのいじめに変わりました。机の中にお菓子の食べカスを入れられたり、頭からスプレーをかけられたり、机に悪口を書かれたり、みんなが嫌がる仕事を押し付けられたり、毎日が苦痛の日々でした。高校生活の中で一番ショックだった出来事は生活指導の先生の一言です。ある日、スリッパを隠され、そのことを生活指導の先生に相談した時、
 「お前が嫌われているから盗まれたんだ。お前が悪い。」

を言われ、その一言に私は絶望を感じました。学校の先生は私にとって最後の砦だったのに、その一言で先生に対する信用が崩れ、誰も信じることができなくなりました。

 社会人になってからもいじめは無くなりませんでした。職場の先輩からのいじめです。直属の上司は私に対して優しく接してくれたのですが、それを面白く思わない先輩から、毎日のように嫌みを言われたり、お茶を入れればそのまま排水溝に捨てられたり、また、社内でトラブルがあれば責任を押し付けられたりして、毎日、会社を辞めることばかり考えていました。辞めたいという気持ちはあるものの辞めることもできず、先輩に反論することもできず、只々、我慢の日々でした。

 結婚を機に退職し、地元から離れ、いじめから解放されると思っていたのですが、いじめから解放されることはありませんでした。近所の住人や子どもの学校の保護者からのいじめが始まりました。大人のいじめは子どものいじめに比べると質が悪く、陰湿です。

 近所の住人は理不尽なことで言いがかりをつけたり、罵倒したりしてきます。どんなに理不尽なことをされても反論できない環境に置かれているので、我慢するしかありません。その住人は、私以外の人たちには180度態度を変えるので、近所の人たちからは信頼され、その人の悪口を言う人はいません。理不尽な嫌がらせを受けていることを誰かに話したくても誰にも話すこともできない状況なのです。また、近所の人たちは、その住人と仲が良いので、今は、我が家だけ孤立しているような状態です。

 保護者からのいじめは、自分の子どもが関わっている分、本当に辛いです。自分一人ならまだしも、子どもに対しても陰湿なことをします。うちの子どもだけ行事に参加させないようにしたり、子ども同士を一緒に遊ばせないようにして、その結果、私だけではなく、子どもも学校でいじめの標的にされてしまいました。もちろん子どもだけではなく、私に対しても嫌がらせをしてきます。学校の行事に参加すれば、私に聞こえるように嫌みを言ったり、役員を押し付けたり、子を持つ親がすることなのかと思うくらい陰湿ないじめを受けました。子どもが卒業し、保護者からのいじめは無くなりましたが、近所の住人からのいじめは今でも続いています。

 ずっといじめを受け続けていますが、いまだにいじめられる原因がわかりません。いじめられる側からすると理不尽なことばかりです。いじめられる度に、どうして何もしていないのに自分ばかり嫌な思いをしなきゃいけないのか。と、いつも思います。
 
 私は、子どもの頃から、いじめられていることを認めようとせず、誰にも相談しませんでした。いじめられていることが恥ずかしくて誰にも知られたくなかったからです。どんなにひどいことをされても相手に嫌われたくないという気持ちや、いじめを認めたくないという気持ちが先走り、いつも笑顔で何事もなかったかのように全てを受け入れてしまうのです。いじめる側からしたら、いじめているのにへらへらしていることが面白くなかったり、何をしても歯向かわないと思われたり、いじめのターゲットにされ易かったのだと思います。

 30代になり、無くならないいじめにノイローゼになったり、ストレスから体調を崩し病院に入院したりすることもありました。また、保護者からのいじめを受ける度に、子どもがいるから私はいじめられるのだ。と子どもを責めてしまったこともありました。

 いじめから抜け出すことのできない私でしたが、自分自身を変える大きなきっかけがありました。

 私は、昔から料理やものづくりをすることが大好きでした。何かを作っている時だけは嫌なことを忘れることができたのです。15年ほど前、料理コンテストの募集があることを知り、挑戦してみました。嫌なことばかりの毎日でしたが、コンテストに出品するメニューを考えたり、実技審査に向けて料理の練習をしたりしている時は、嫌なことを忘れてしまうくらい毎日が充実していました。初めて挑戦したコンテストでしたが、入賞することができました。それがきっかけとなり、料理やものづくりのコンテストを見つけると挑戦するようになりました。

  10年ほど前に、料理コンクールの全国大会に出場する機会がありました。その結果、日本一になることができました。日本一を獲ったことはうれしかったのですが、それを面白く思わない保護者からの風当たりは増々強くなりました。保護者から嫌みを言われたり、嫌がらせをされたりする度に今までなら悩んでいましたが、日本一を獲ったことで自分に自信と余裕ができました。嫌みを言われたり嫌がらせをされたりしても、相手を小さな人間と思えるようになりました。

  人をいじめる人間は、きっと自分が弱いから自分を強く見せたくて他人をいじめるのだと思えるようになりました。それから10年経ちますが、今でも料理やものづくりなどのコンテストに挑戦し続けています。挑戦することが自分の自信につながっています。

 いじめられることは本当に辛いことです。いじめられた記憶は、何年経っても消えることはありません。ずっと頭に記憶が残り続け、思い出す度に胸が張り裂けそうになります。このまま一生いじめが無くならないのか。と思うと、自分の人生なんて無意味だ。と思ったこともありました。

 ただ、もし、『いじめる側』と『いじめられる側』のどちらを選ぶか。と聞かれれば、私は迷うことなく、『いじめられる側』を選択します。いじめられたことのある人間は、いじめの辛さや苦しさに耐えている分、誰よりも底力があると思います。そして、いじめで心を傷つけられた分、人の心の痛みを知り、誰よりも人に優しくできると思います。いじめられることは無意味なことではないのです。いじめられた経験が自分自身の力にきっとなります。

 世の中から、いじめを無くすことはおそらくできないと思います。いじめが無くならないのならばあきらめるしかない。と、決して思わないでください。いじめを乗り越える術を身に付けることが大切なのです。術を身に付けることで、もし、いじめられていたとしても、乗り越えることができると思います。私にとってのいじめを乗り越える術は、コンテストに挑戦することです。コンテストに挑戦することで自分に自信という力をつけています。

 今をあきらめないでください。きっと乗り越えることはできます。いじめられたことを力に変えることもできます。一緒に今を乗り越えていきましょう。