第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門最優秀賞受賞作品


   『魔法の力』        

                    鹿児島県日置市在住・日本航空高等学校二年  
                                           原口 侑芽

 「私なんて」という言葉が口癖だった。私は、外見もよくないしコミュニケーションの取り方も上手くない。いつもネガティブ思考に物事を捉えていた。この考えは、学年が上がるにつれて高まっていった。中学校に入学した頃には、自分は他人の目にどう映っているのか、どう思われているのかと気になり始めた。

 そんなある日、英語の授業でクラスメイトの前で、3分間で自分の好きなこと、好きな食べ物、頑張りたいことなどをスピーチするテストがあった。私は、このテストに向けて何週間も前から、何度も何度も練習をしていた。しかし、約40人のクラスメイトを前にすると頭が真っ白になり、何も話せなかった。顔が赤くなり、全身から大量の汗が流れた。沈黙が流れる。みんなが一斉に私に注目する。地獄の3分間だった。
 その日を境に私はクラスのイジメの対象人物となった。授業で発表がある度に、みんな、顔が赤くなる私に指をさしながら笑っていた。時には、「侑芽ちゃんいたんだ」と存在すら忘れられていた。こんな対応をされると、ますます自分に「自信」がなくなり、他人の目が気になった。音楽の授業では「音痴じゃないかな」と気になり、歌うことが出来ずいつも口パクだった。給食の時間には、「私が食べ物を咬んだり、飲み込んだりする音は変じゃないかな」と思い少量しか食べることができなかった。
  友達に囲まれている、明るい子がキラキラとして見えた。学校の先生に相談しても「あなたが気にするからダメなのよ」と言われるばかりで、私の苦しみを理解しようとしてくれなかった。他人の目が気になることに悩んでいるのに、自分でもそんなことぐらいわかっているのに。

 今の私には、その先生がグイグイと私の背中を押す励まし方だったと分かる。けれども、当時の私には全くの逆効果だった。出口のない真っ暗闇のトンネルに閉じ込められた日々だった。

 高校では、トンネルから絶対に脱出したいと思い、クラスメイトが誰も通わない、家から少し距離がある全日制の高校に入学した。

 入学したら、まず、自己紹介がある。いつもより声のトーンを高くして笑顔で明るく自己紹介をしようと決めていた。中学時代に友達に囲まれて、キラキラと輝いていた子のように。だが、それは難しかった。大勢の人を見ると緊張し、中学時代のように顔が赤くなり大量に汗が流れた。
  そんな症状が出ると余計に緊張した。そして自分が憎くて、声が震え、息がしにくくなった。帰りの駅のホームで私は号泣した。「なんで自分はこんなにもダメな人間なんだろう」と自分にものすごく腹が立った。このままずっとトンネルから抜け出せないかもしれないと思うと、とても恐怖を感じた。静寂している駅のホームに私の泣き声だけが響きわたった。
 

 次の日から、ベットから起き上がることができなくなった。当たり前だが、学校に行かないと勉強することができない。卒業することができない。それでも、私は学校に登校することができなかった。学校どころか外に一歩も踏み出せなかった。全て他人の目が、悪魔に見えたから。
 そんな私を見て、母が心療内科に連れて行ってくれた。そして、公認心理師のカウンセリングを受けた。今までの苦しくて、悔しかった日々を話した。私の心にたまった、なまりがどんどん流れだした瞬間だった。

 「よく耐えていたね。あなたは、全然ダメな人間なんかじゃない。あなたはあなたのままでいいよ」と公認心理師は、私の背中をさすりながら言った。その言葉は、私が求めていた言葉だったと気づいた。「私はそのままでいいんだ」と思うと、すべて他人の目が悪魔のようではないのだと気づいた。

 人という字は、互いに支え合うという意味で、人は一人では生きてゆけない。私が、公認心理師と話せたように、誰かと支え合いながらじゃないと人間の心は潰れてしまう。「周りの人とコミュニケーションをとる」ということは、これから先、生きていくために不可欠なのだ。公認心理師や病院の先生、家族と話し合い、コミュニケーションをとれる力をつけるために、ゆっくりと治療をしていくことになった。そして、学校は通信制の高校に転校した。

 転校先の学校では、様々な悩みを抱えた生徒たちが集まっていた。生徒も先生もみんな私の悩みを聞き出すこともなく、私の考えを全否定することもなく、相談を親身になって聞いてくれた。私は、心の底からみんなに出会えてよかったと感じた。

  その中でも、ある先生は私を強くしてくれた。その先生は私の国語の授業を受けもってくれた。いつも授業の最初には私と好きなこと、面白かったことを話してコミュニケーションをとってくれる。授業がある度に日々の小さな喜びを話した。とても、その会話がはずみ、学校に行くことが楽しみになった。ある日、先生は私にこんな言葉をかけてくれた。
「目立ちたがり屋な人、甘えん坊の人、怠け者な人。みんな、それぞれ良いところがあってダメな人間なんかじゃない。でもね、どんな人でも『自信』と『夢』を持っていれば強いよ」

 まず「自信」をつけるために何をすればいいのか日々模索した。その結果、私らしさを伝える手段として弁論にたどり着いた。この日から一生懸命、弁論大会に向けて準備をした。
 
  まず、自己分析から始めた。先生はメモリーマップという技法を教えてくれた。メモリーマップとは自分の本心が分かってくるものだ。完成した時は、まるで沢山の葉が生い繁った木のようになる。ロジカルツリーの完成だ。そうすることで自分の好きなこと、苦手なことが明確に見えてきた。次に見えてきたことを文章化していく。どのような流れにしようかと文章の組み立て方に苦戦しながらも、「強くなるんだ」と自分に言い聞かせ、はいつくばった。


  そして、当時の私には最高の作品が出来上がった。一次審査の原稿の審査に選ばれますようにと力強く心の中でお願いしながら。郵便局に出しに行った。ある秋晴れの日、ポストを覗くと文部科学省から一次審査通過のお知らせが届いていた。

 東京で開催される全国大会出場決定ということだ。私は、今まで生きてきた中で一番とびっきりの嬉しさが詰まった声を上げた。心地よい風、キリギリス、トンボすべてが私を祝っていた。通過の知らせの紙をギユッと握りしめ、母のところに走って報告した。母は目を見開き私と一緒に喜んだ。

 二次審査では、大勢の人の前で発表しなければならない。さらに、私は発表の中にスマップの「世界に一つだけの花」の歌詞を用いていたため、先生の提案もあって歌うことになっていた。初めていく大都会・東京で大勢の人を前にして、話せるのか歌えるのか、とても不安な気持ちになった。そんな時、母が「せつかく全国大会に出場できるんだから、練習を沢山して、出場しよう」と言ってくれた。何回も何回も、数えきれないほど母や先生に練習を見てもらった。声の大きさや強弱のつけ方、身振り手振りのつけ方を指導してくれた。一回一回練習を重ねるごとに上手くなっていき、自信がついていった。

   本番は高野山東京別院で開催された。全国から選ばれた25名の高校生は一見緊張しているように感じたが「自信」にみなぎった目力を見せていた。私は、発表順が最後から3番目だったため、前半の人たちの発表は観客席で見ていた。自分の体験談や社会問題など内容は様々であった。この人はこう思うんだ、この人はこうなりたいんだと、いろいろなことを知れた。また自然な身振り手振りのつけ方をしている人が多く「大勢の人の前で堂々と話せてすごいな」と思った。また、自分も「今までの練習の成果を精一杯みんなに見せるぞ」と心の底からメラメラと熱いものがわいてきた。

 とうとう私の出番になった。名前を呼ばれると、大きな声で堂々と返事をした。練習で学んだことを「自信」をもって語り始めた。感情をこめて話していくと、うるうると涙目になった。最後の歌の場面では、大勢の観客の表情がハッと変わり、いっそう私に注目した。

 声が震えた。けれどもその声の震えは、人が怖いと思って震えた声ではなく「私もできるんだ」と自分自身に感動した震えだった。盛大な拍手をもらった。審査員の1人の方は涙を流してくださった。人生で初めて、盛大に人に褒められ感動された。私は、大きな大きな「自信」を手に入れることができた。

 今年はコロナ渦で、多くの弁論大会が中止となった。だが私は、様々な作文、小論文に挑戦している。ありがたく数々のコンクールで入賞することができた。その度に「自信」がついていった。

 「エントツ町のプぺル」という絵本がある。この本の舞台は、四千メートルの崖に囲まれ、えんとつだらけの町。そこかしこから煙がモックモクとあがり、町民は外の世界を知らない。人々は「煙突の上には星がある」という人がいたら嘲笑し仲間はずれにするしまつ。夢をみることさえ知らない世界で生きているのだ。あの頃の私のように。

 この物語には、えんとつ掃除をしている少年ルビッチとゴミ山に落ちてしまった心臓に、ゴミがくっついて誕生したゴミ人間プペルが登場する。ルビッチには夢がある。亡きお父さんが見た煙の上にある幾千もの星を見ることだ。町の人々はルビッチを馬鹿にした。しかし、お父さんからこんな人に負けずに、夢を叶える方法を教えてもらっていた。「信じるんだ、たとえ一人になっても」ルビッチはそう信じて、どんなに、からかわれても夢を捨てることはなかった。

 ある日、ルビッチはプぺルと出会う。ルビッチはプペルの汚い体を洗ってあげたり、いつも一緒にいてあげたりした。プぺルは親切にしてくれるルビッチと出会えて、とても幸せだった。うれしかった。ルビッチを信じ、ルビッチの「夢」を信じた。彼の夢を叶えてあげるということが、プぺルの夢になったのだった。二人は「夢」を信じ続け、星を見るために動き出す。船に大量の風船を取り付けて、煙の空から抜け出したのだ。風が吹いて真っ暗で、怖い空間だったが、二人は上を見続けた。「夢」を信じ続けた。

 同志社大学による「大阪子ども調査」では、将来の「夢」が思い浮かばない子が多いことが示されている。この問題は、 AI化の発達と大きく関係していると思う。AI化が発達し医療、教育、ビジネス等で業務の効率化が進んでいる。労働不足の解消や時間短縮には確かに有効だ。しかし、じかに人と人との関りが減ってきているため、自分の思いを表現する機会が減ってきている。将来、AI化はますます発達すると予想されている。けれども、自分の生きていくうえで大きな支えとなる「夢」を失わないように、日々自分を知る時間をもっと増やすべきだ。

 私には、夢がある。世界の人たちに「夢」について考えさせて、能動的に行動できるようにする児童作家になることだ。「えんとつ町のプぺル」の登場人物のルビッチとプぺルが「夢」を見ることができたのは、自分から行動しようと思い動き出したからだ。どんなに叶えたい夢があっても、動き出さなきゃ何も変わらない。まず、読者に「夢」を持ってもらうために、ロジカルツリーの作り方を詳しく教える。そして、様々な弁論大会や小論文、作文コンクールに自ら挑戦して強くなれる「自信」を手に入れたことを伝えていくのだ。
 世の中には十人十色で様々な性格の人がいる。一人一人個性を持っていて、皆、素晴らしい。その人はその人のままでいいのだ。しかし、「自信」と「夢」は持つべきである。
以前の私のように、苦しくて真っ暗闇のトンネルに閉じ込められた時でも、「夢」は希望の光となり、「自信」は立ち上がれる強さになる。光に向かって動き出すことができる。
 現在、私も「夢」という光に向かって、様々なことに挑戦して「自信」をつけながら歩いている。時には、周りから嫌な言葉を浴びせられる時もある。けれども、光に向かって「自信」をもって歩いていけば、そんな言葉は、打ち払うことができる。これからも

「夢」を見れるように、日々挑戦していく。

私は、人と人が関わっていく中でいじめというものは、亡くならないと思う。けれども、いじめられたときに、くよくよしない対処法がある。それには「自信」と「夢」を持つことだ。人々にこの魔法の対処法を教えたい。そして私と共に「夢」に向かって一歩ずつ歩き出したい。みんなでそれぞれの夢を見よう。自信を持って動き出そう。やっちゃえ自分、やっちゃえ私。